2014.06.07Tips(ヒント)あれこれ
壺と甕の違い。世界に類を見ない壺づくり純米黒酢の独特な伝統製法
当薬局が取り組んでいる研究テーマの一つ、壷づくり純米黒酢「坂元のくろず」は、200年以上前から受け継がれている伝統技術を一切変えることなく製せられている。
この際に用いられる壺は、内容量が3斗(54リットル)入り、胴径約40センチ、口径約14センチの陶器で「アマン壺」と呼ばれる。発祥当時は薩摩焼の壷が使用されていたが、現在は大半が信楽焼である。
坂元醸造の工場には、天日に向けて現在5万2000個ものアマン壺が並べられており、壮観な景色から「壺畑」と呼ばれている。春秋2回の仕込みの季節には職人たちの技を見学しに訪れる観光客の足が絶えない。
くろず(黒酢)の歴史
鹿児島県霧島市福山町。200年以上も前の江戸時代後期に壺を使用した米酢づくりが始まった土地だ。壺酢は大変な人気があり太平洋戦争前には24軒もの醸造所があったが、戦中戦後の米不足と安価な合成酢の台頭で、廃業する業者が続出した。 その中で、坂元醸造は唯一伝統の製法を守り抜き、1975年、5代目当主坂元昭夫氏がこの壺づくり米酢を「くろず(黒酢)」と命名し、全国に販路を拡大していった。2008年現在、福山町の醸造元は7軒あるが、坂元醸造がシェアの7割以上を占めている。 電気もガスも使わず、太陽と微生物の力を借りて、熟練の職人によってじっくりと時間も手間も掛けられて生まれる「坂元のくろず」は、21世紀の今日でも、昔と変わらぬ製法で造られて、美しく琥珀色に輝いている。 坂元のくろずの歴史世界に類を見ない、壺の中で行われている微生物たちの神秘的な競演。
- 長年使いこまれたアマン壺に米麹を敷き、3分搗(づ)きの蒸し米を入れる。
- 「廻りの水」と呼ばれる、三方を姶良カルデラ壁である丘で囲まれた福山の名水を壺の7分目まで注ぐ。
- 仕込みの最後に振り麹を水面均等に振る。※これは熟練した職人にしか出来ない、匠の技。
- 仕込みの終わった壺は錦江湾に向けて拓けた広大な壺畑で、太陽の光を浴びながら1年、またはそれ以上の時間をかけて、ゆっくりと醗酵・熟成が進む。